てぃーだブログ › 琉球の風

2012年01月24日

今年発の練習見学

すでに琉球は先週より活動を始めまていますが
俺には、この日曜日が今年初の練習見学でした。
日曜日は雨も降って、風も強く本当に寒い中での午後練習でした。

     ↑こんな感じで寒かったです。

松田監督の練習も初めて見たのですが、途切れ途切れではあるけど、風にのって聞こえてくる監督の指示は
実践をイメージした練習を指示していました(当たり前のことだけど)

現場で聞きながら、今年のFC琉球の闘い方のイメージはこんなものなのかななどと一人妄想しながらの練習見学
今日みたいな寒い日に来てとは言わないけど
やはり練習見学を観るのは楽しいですよ。
小さい子供たちは、試合を見るのもいいけどやはり練習風景も参考になるのかなと思っています。

しかし、1年も半冬眠状態だったとはいえ顔を知っている選手が減ったよな。
顔を知っている選手の中でこの日一番のお気に入りの写真はこれでした。

早めに全選手の名前を覚えるようにしましょう。
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2012年01月23日

新年あけましておめでとう

もう正月をだいぶ過ぎてと言う人もいるかもしれませんが
今日は旧正月なので

旧正月に合わせて2012年の俺のシーズンが始まりました。
昨年は、個人的な理由によりブログを休むだけでなく
FC琉球に対してもとっても、とっても、とっても控えめになってしまいました。
今年も以前のようにフル二というわけにはいかないですが
できるだけ練習にも行ってみようかなと思います。

忘れていたけど
トップの画像も近々変えるようにしましょう。

  

Posted by ねこあざ at 09:00Comments(0)TrackBack(0)FC琉球2012

2011年11月12日

夢の話

今朝の夢の話です。
夢の中で永○が登場。
二人で話したのが「今年は6位で来年が4以内だな」ということ。

俺の予定では今年は4以内だったのだが・・・

さて、予定があたるか夢があたるのか。
  

Posted by ねこあざ at 13:35Comments(1)TrackBack(0)ひとりごと

2011年06月11日

久しぶりで驚いたこと

3ヶ月ぶりのブログアップです。
皆さんお久しぶりです。
今回のブログアップは、撮りためていた動画の一挙アップが目的です。
それと、久しぶりに見学に行ったチャレンジマッチの写真を少しアップしてみました。
好調な琉球の元気な姿を楽しんでください。

















震災から3ヶ月ですが、JFLが開幕して2ヶ月が経ち、いくつかいい意味での驚きが続いていますね。
まずは、現時点(平成23年6月11日現在)でFC琉球が単独首位にいるという現実。
いつかこんな日が来るとは思いきたが、実際になってみると
もっと興奮するかと思っていたけど、意外に落ち着いている自分がいる。
3年前から代表にも言ったことがような気がするけど、1年目は残留、2年目は10位内、3年目に昇格と言っていたが現実味を帯びてきた。
俺の中ではこの流れは既定路線なので。
しかし、ここまで色んなことがあったな・・・
でも、まだシーズンは終わっていないので最後まで気を引き締めないとね。
ある意味、琉球の首位以上に驚いたのが、今日の大学選抜とのトレーニングマッチに
観客が数十人いたこと。
これまでこういったトレーニングマッチで観るのはサポーター仲間だけだったのに・・・
勝つって大事ですね。  

2011年03月14日

実は・・・・

金土と東京で冷静に行動したつもりだったけど
どこか落ち着かない自分があったんだろうね。
やっと本当の意味で周囲のことを見られるようになった気がする。

それを考えると、関東の仲間たち
ましてや東北の人々の心情を思えば・・・

だけど、全滅した町をみていて驚きはしてもどこかデジャブー感があった。
自分自身の経験ではないが、60数年前、戦後直後の沖縄の写真とおばあやおかあの語った言葉を思い出した。
なにもなくなっても人は生きて立ち上がれる、少なくとも俺たちのおじぃやおばぁは、頑張った。

それで思い出したのがこの唄でした。
ソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」
今は生命の救出が最優先だが、生き残った人たちに次に必要なのはこういう唄なのかもしれない。
戦後直後、沖縄のカンカラサンシンがあったように。
  

Posted by ねこあざ at 00:40Comments(0)TrackBack(0)ひとりごと

2011年03月13日

実は・・・

この金曜日は、東京にいました。
ちょうど外を歩いている時に地震が起きました。
その時には初めて本格的な地震に出くわした、地面が揺れるって凄いなどと軽く思っていた。
外にいる限りにおいては、情報がほとんどなくそれほど深刻だとは思わなかった。
せいぜい、耐震構造の高層ビルが左右に揺れるのを見て凄いなと思うくらいだったのが、地下鉄が止まり地下鉄に乗っていた人が道にあふれ、携帯の通話ができなくなり、飲食店は軒並みガスを止めて営業停止、JRが全線ストップとなっても、すぐに回復するだろうとどこかのんびりだったのが、テレビの映像をみて事の重大さを知った。
情報が伝わるまでに時間がかかりったな。
東京は実質的な被害はあまりなかったのですが、JRなどの電車が止まったために、俺は金曜日宿泊するホテルまで、新橋から浅草まで歩きました。
歩いている途中で、バスを待つ長蛇の列、ビルのロビーで夜を明かそうとする人、ひたすらに歩いて帰る人がいる一方で、開いている飲み屋で酒を飲んでいる人もいるし、コンビニで食料を買い込む人などが多くみられて。
宿泊したホテルのロビーでも、家に帰れない多くの人が暖をとっていた。
交通機関が止まるとここまで混乱するのかと同時に、東京という町の公共機関が如何によくできているのかというかというのも感じた。

さて、土曜日は天気もよく浅草寺などはふつうに観光客であふれていた、唯一首都高速が使えないので渋滞が酷いくらいで、いつもの町の風景でした。

今日の試合が中止になったのは残念だけど、当然のことだと思う。
そういえば、ニュースで仙台のソニーでは数百人の職員が会社に閉じ込められていると報道があった。
これってソニー仙台だよな。

今回の地震、東北地方に信じられないような被害を出した。
離れた沖縄でできることは少ないかもしれないが、何らかの形で自分にできることをやりたい。

心配なのは帰りのモノレールから観た夕陽に、地震雲かと思うような変な雲があった。
これが俺の気のせいであることを願う。



うまくとれていませんが、地震で揺れている耐震構造のビルです。
よくみたら微妙に左右に揺れているのがわかるかも・・・


  

Posted by ねこあざ at 09:00Comments(1)TrackBack(0)ひとりごと

2011年03月08日

2011年03月07日

W杯出場おめでとう

ビーチサッカ日本代表が、アジア予選を優勝で締めくくり9月のW杯出場を決めました。
マイトや河原塚と顔を知っている選手の活躍嬉しいです。
  

Posted by ねこあざ at 21:00Comments(0)TrackBack(0)ビーチサッカー

2011年03月06日

2011年01月01日

明けましておめでとうございます。

FC琉球は、初の開幕戦勝利、来季初のホーム開幕戦と1年1年確実な歩みを見せています。
今年は我那覇が入団し、勝負の年です。

さて、めでたい新年にこういうのもなんですが
このブログの更新をしばらく停止することにしました。
もともと、情報発信ができなかった当時の球団の補完、練習に行けない県外のサポーター仲間に対する情報発信ということで始めたブログですが
多くの方々に支持をいただき心から感謝しています。
現在、球団からの情報発信もしっかりしてきているなどから、このブログの役割はあるていど終了したと考えました。
更新は停止しますが、2007年から2010年までのFC琉球の歴史をしる一助として残すつもりです。

FC琉球と共に、みなさまにとって幸多き一年であることを祈念いたします。  

Posted by ねこあざ at 12:00Comments(1)TrackBack(0)ひとりごと

2010年12月31日

秦賢二

2003年のFC琉球創設から2006年のJFL昇格までを第1期とすれば、混迷の2007年から2010年の苦しい第2期を支えてくれた一番の功労者。
秦がいなければ、もっと酷い状態になっていたのではと考えるだけでも恐ろしい。
崩壊していく2007年には八面六臂の活躍、2008年の混乱期では常に安定した落ち着いたプレイを見せ、2009年にもチームのバランスを見て献身的に動き、2010年には彼本来の攻撃力の高いプレイを見せていた。
秦が中盤でボールを持てば、チームの流れにリズムが生まれて、いい攻撃ができるし守備も安定するようになる。
常に彼がチームの要であった。
本人は「周りが生きてくれれば嬉しい」と語ってくれたように、チーウのバランスを見てチームメイトを生かすようにプレイをしていた、目立たないことも多かったがいつも全力でチームのため、サポーターの期待に応えるためにプレイをしていた姿は大好きでした。
2007年、チームが勝てない時期に、試合終了の整列の時にはいつも手を合わせて、応援にきてくれたサポーターに謝っていた。
FC琉球の控えめな「王様」
それが、秦賢二です。


















俺は彼の大ファンで、人生初の弾幕は彼の弾幕でした。
その時に「マイスター」と称しましたが、秦のプレイはその名に恥じないものでした。
いつかはこういう日が来るとは思っていましたが・・・・

現在のブログのトップ画像のシルエットの一つは秦です。
もう一人は、俺の好きな元琉球の選手です。
寒空に秦の退団は身に染みています。  

Posted by ねこあざ at 12:00Comments(0)TrackBack(0)琉球戦士2010

2010年12月30日

野田恭平

創設メンバー最後の砦として、2007年は怪我をおして闘ったキャプテン
語る言葉のないくらいに琉球を愛し闘ってくれた選手。
今はJ2、FC岐阜で体をはっているが、心は繋がっている。
近いうちに対戦相手としてコールをするのが、一番のエールでしょう。








  

Posted by ねこあざ at 15:00Comments(0)TrackBack(0)琉球戦士2008

2010年12月30日

中村友亮

体は小さくとも、その存在感は誰にも負けないFC琉球の10番。
中盤での運動量はFC琉球の攻撃と守備を支え続けてきた。
サポーター投票で1位になるなど、多くのサポーターの心をとらえて人気選手。
彼の姿があるのは当たり前だと思っていただけに、来季から見られないのは寂しい限りである。
ここでは書けないくらいの感謝しています。








  

Posted by ねこあざ at 13:00Comments(0)TrackBack(0)琉球戦士2008

2010年12月30日

納屋伊織

この年の選手の中で一番サポーターに支持された選手の一人。
最初は彼の存在をしらず、海千山千の訳のわからない選手が入ってきたと思ったのですが、プレイを見ればそんな印象は吹っ飛びました。
パスセンスは抜群なものがあり、何度も感嘆の声を上げさせられた。
サポーターの存在を常に意識し、俺たちの声に応えようと常に全力でプレイしてくれた姿は忘れられない。
人柄もよかっただけに、1年でも多く伊織のプレイを見ていたいと思っていました。
ですが、彼も怪我にないた選手の一人、彼が退団すると聞いた時には残念さに肩を落としたものです。






  

Posted by ねこあざ at 12:00Comments(0)TrackBack(0)琉球戦士2008

2010年12月30日

澤口雅彦

流通経済大学から入ってきて1年で退団。
1年を通してスタメンとして活躍、特にシーズン後半にはDFの要となり、DFラインの中で勇気を持ってラインを上げようとする姿は忘れられない。
当時の琉球の中で将来性を感じる輝きを放っていた選手であり、退団後はJ2岡山に移籍し中心選手の一人として活躍。
彼がDFラインの中心として残っていればという気持ちもあるが、J2で彼が活躍している姿を見れば、この時の移籍は彼にとってプラスだったなと思います。
今でも、彼の活躍する姿をみたら拍手をおくっています。





  

Posted by ねこあざ at 12:00Comments(0)TrackBack(0)琉球戦士2008

2010年12月30日

白井博幸

コーチとして残っている彼をここで紹介するのはちょっと抵抗あるな。
この年に入団してきた中で山下と並ぶビッグネームでした。
特に崩壊したDFラインの中心として期待が高かったのですが、怪我の状態が回復せず活躍する機会が少なかったのが残念。
練習試合などで白井のプレイをみていただけに、公式戦で活躍する姿が見たかった。


  

Posted by ねこあざ at 12:00Comments(0)TrackBack(0)琉球戦士2008

2010年12月30日

Histry 0f FC琉球2007 Part5

実はこの時点でトルシエがくることに対して懐疑的であった。
当時のチームはトルシエが指揮を執るには、あまりにも未熟であったし、彼の力を生かすような体制をフロントが作れていないというのが明白だったのだから
2007年12月18日新報スポニチ トルシエFC琉球総監督。
2007年12月19日 猛将琉球再建へ トルシエ氏来沖
2007年12月20日 J1見据え 補強材しJ2へ経済的支え必要
2007年12月21日 FC琉球アフリカ、Jから補強
トルシエ氏都内で会見 秋田獲得に前向き
2007年12月24日 トライアウト11人通過

2007年12月31日 FC琉球2007年総括17位(7勝21敗6分) 新戦力加入も試行錯誤 連携が未熟順位落とす。最終戦来季に展望得る。  

Posted by ねこあざ at 09:00Comments(0)TrackBack(0)History of FC琉球

2010年12月29日

中島俊一

テクニックが際立つプレイヤーでしたが、沖縄にあまり馴染まず1年で退団。
というか、この年はチーム人数が多すぎたのでどうしても1年で退団する選手が多かった。
しかし、1年後には怪我もあって現役を引退し現在は水戸だったかな、コーチとして新たな人生を歩み始めました。
怪我がなければJ1でもっと活躍できた選手でした。




  

Posted by ねこあざ at 12:03Comments(0)TrackBack(0)琉球戦士2008

2010年12月29日

森戸壮介

当時はまだ存在していたかりゆしFCから移籍してきた、第1陣の一人
同じ年に高畑も移籍をしてきたが、チーム人数やチーム戦術にあわずに彼は早々に退団していったが、森戸は最後まで頑張ってくれた。
熱いうえに、目立つ男で、金髪やら剃り上げたりと年に何回もイメチェンしていた。
前半はあまり使われなかったが、途中からスタメンとして活躍した。
中盤で必死の形相で走り姿には応援の声をだしたくなったものです。
非常に残念な形で退団することになりましたが、この時期の球団の体制から見ると同情の余地があるのかと思わないでもない。
その後、別なチームで活躍をしていると聞きました。
色々な意味で印象強い選手でした。




  

Posted by ねこあざ at 12:02Comments(1)TrackBack(0)琉球戦士2008

2010年12月29日

安里光司

沖縄出身のJリーガーとして、FC琉球に2008年に加入。
チームの戦術にあわず出場機会も少なかった、というかこの年のチーム人数が多過ぎ。
紅白戦を交代要員付きでできるだけの人数では出場機会も減るよな。
同郷の身として、もっと活躍する姿をみたかった。




  

Posted by ねこあざ at 12:01Comments(0)TrackBack(0)琉球戦士2008