2008年03月08日

全てはここから始まった(2002年12月)

2008年シーズンが始まる前に,今までのFC琉球の歴史を沖縄タイムスの記事から辿ってみました。
元々の動機は,年末のかりゆしの醜態から過去を振り返ろうと思ったものです。
革命元年というのなら過去を確認するのも必要かなと思います。
記事は縮刷版から探しており,見落とした記事もあるかもしれないし,全てを網羅しているものではないですが,昨年までの5年間の歴史を大まかにみる事はできると思っています。

2002年12月2日の記事より
天皇杯1回戦終了後,HondaFCに延長Vゴールで惜敗した後選手19名,スタッフ1名が「球団の方針にはついていけないと」かりゆし退団を表明。
俺自身,この記事を読んだ時のショックを憶えている。
ニュースで記者会見を見た記憶がある。
この時のキャプテンは,現在シンガポールリーグでプレイをしていた望月選手でした。
この抜けた19名が現在のFC琉球の創設メンバーとなっていった。

望月や松原が所属していたかりゆしは,2001年に「沖縄からJへ」を合言葉に発足,2001年5月には現ベルディ監督のラモス瑠偉をTDに迎え2〜3年でJ昇格を目指していた。
しかし,2002年10月にラモスTDを突如解任し,両者の言い分がすれ違っていた。
それを気に,球団に対する不満が爆発するように大量脱退となった。
大量脱退の直後に,ラモス瑠偉の代わりに加藤久が監督に就任し,脱退した選手達に対し「球団への不満はあるだろうが,もっと大人のやり方があったのでは」というコメントをしているが,1年を待たずしてこの後彼自身が,同様な経験をすることになる。

大量脱退しこれからどうしようと思っていた彼らに,方向性をつけたのはラモス瑠偉の言葉だったそうです。
彼が「沖縄でがんばろう」という事を言わなければ,現在のFC琉球はなかったのかもしれない。


この記事へのトラックバックURL

http://nekoaza2007.ti-da.net/t1996743